江戸東京博物館
〜チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展〜
大草原への夢、英雄の華麗なる遺産を日本初公開!中国国家一級文物(国宝)54点が出展!モンゴルの至宝が、いよいよ、東京にやってくる!
モンゴル帝国は、チンギス・ハーンが1206年に建国した騎馬遊牧国家です。彼は、法令を公布し、統制と社会の秩序を図ります。13世紀後半、子孫のフビライ(元の初代皇帝)の時代になると中国全土だけでなく南はベトナム、北はモスクワ、西は地中海まで世界最大の領土を支配しました。
本展では、チンギス・ハーンが登場する以前、紀元前4世紀〜9世紀に存在した中国古代北方騎馬遊牧民族の装飾品からチンギス・ハーンが建国したモンゴル帝国の絶頂期、そして明・清時代に入っての衰退期までを一堂に紹介します。総出展数159点のうち、中国国家一級文物(国宝)が54点特別出展されます。
●タイトル チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展
The Legacy of Genghis Khan and the Magnificent Mongol Empire
●会場 江戸東京博物館 1階 展示室
(〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1) アクセスマップ
●会期 平成22年2月2日(火)〜4月11日(日)
●開館時間 午前9時30分〜午後5時30分
(土曜日は午後7時30分まで)※入館は閉館の30分前まで。
●休館日 毎週月曜日、但し3月22日は開館、23日は休館
●主催 財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、産経新聞社、テレビ朝日、東映
●後援 中国大使館、日本モンゴル協会
●協力 中国・内モンゴル博物院、日本航空
●企画制作 東映
●お問い合わせ 江戸東京博物館:03-3626-9974(代表)
第1章 戦国時代のモンゴル
モンゴル民族の活動舞台であるモンゴル高原は、内陸アジアの東部を形成し、日本の約9倍の面積です。そこには緑の高原(ステップ)が広がっています。内陸アジアのステップは、雨が少なく農耕には適しない地域であることから、そこに住む人々は古来より遊牧と狩猟が生活の中心でした。彼らは、代表的な家畜ともいえる馬の飼育と利用を行う、騎馬遊牧の民でした。世界の遊牧民の中で、騎馬遊牧民は内陸アジアの遊牧民だけであり、彼らは騎馬の力によって狩猟を行い、迅速に移動し、農耕国家を圧倒する強力な国を建てていきます。このような強大な騎馬遊牧国家は、モンゴル高原に多く興りました。
紀元前475年から1125年に興った東胡族(とうこぞく)・匈奴族(きょうどぞく)・鮮卑族(せんぴぞく)・突厥族(とっけつぞく)・契丹族(きったんぞく)などの国がそれにあたります。青銅器文化が発達し、貴族の墓からは大量の青銅礼器、兵器、装飾品など副葬品が出土した東胡族、牧畜を主とし肉と乳製品を食文化とし、精巧で美しく且つ草原文化の特色をもつ匈奴族など独特の文化を構築していきました。モンゴル高原に興った遊牧国家は、やがて勢力が拡大すると南方の中国王朝や西方のオアシス地帯に侵入し、勢力下に置くようになりますが、漢民族の王朝が強力であるときには統制下に入るなど外部世界と柔軟な関係を築きました。その間、交易や文化的な交流を活発に行うなど漢民族の影響がうかがえる宝飾品も数多く残っています。
第1章では、チンギス・ハーンが登場する以前の騎馬遊牧民族の東胡族・匈奴族・鮮卑族・突厥族・契丹族の五部族の装飾品を中心とした出土品を展示します。

鷹形金冠飾り(一級文物)戦国時代 内モンゴル博物院蔵
第2章 一代の天驕 〜モンゴル帝国の勃興
遊牧民族の勃興と衰退を交互に繰り返してきたモンゴル高原では、12世紀に入ってモンゴル部が当時大国であった金王朝に貢物を入れるなど勢力を強めていきます。12世紀末、モンゴル部のキヤト氏に属したテムジンは、モンゴル高原の遊牧諸部族を統合し、1206年、「大モンゴル国」を建て、チンギス・ハーン(1162?〜1227)と名乗りました。これが「モンゴル帝国」です。その後、チンギス・ハーンは各地に軍を出し、征服活動を開始、その子孫もその事業を受け継いだ結果、その領土はモンゴル高原の西方の中央アジア、東アジア、西アジア、東ヨーロッパまで拡大し史上最大の帝国となりました。1260年、チンギス・ハーンの末子トルイの次男・フビライ・ハーンは、大元王朝を建国、都をそれまでのカラコルムから大都(現在の北京)に遷し、帝国の中心を中国に移しました。
モンゴル帝国では、早くから駅伝の制度が整えられ、四方に駅路が通じます。西方のイスラム教徒やキリスト教徒との商業取引が活発になるなど、西アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの交易路は活況を呈するようになります。また海上通商も盛んに行われ、元王朝は多民族国家として繁栄しました。
しかし元王朝後期は、政治が腐敗し、国力が低下。1368年には白蓮(びゃくれん)教徒による農民反乱(紅巾(こうきん)の乱)によって、首都・大都を失い、時の皇帝・順帝トゴン・テムル・ハーンはモンゴル高原に退きました。中国本土に残存した少数のモンゴル族は漢人と融合する道を選びました。

チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展より
第3章 明・清時代のモンゴル
みどころTOP第1章 戦国時代のモンゴル第2章 一代の天驕 〜モンゴル帝国の勃興第3章 明・清時代のモンゴル第3章 明・清時代のモンゴル1368年、元朝の順帝トゴン・テムル・ハーンは、明の皇帝に即位した朱元璋(しゅげんしょう)に追われて首都・大都を脱出、これ以降、元朝の旧領土では、モンゴルと明が対峙する時代が約270年続きます。その間、モンゴルのハーンの権力は衰え、チンギス・ハーンの血を引かない有力者たちが争いあう混乱の時代を迎えます。こうした状況に終止符を打ったのが、チンギス・ハーンの末裔とされるダヤン・ハーンです。ダヤンとは、「大元」を意味し、モンゴル高原東部を勢力下に入れるなど、遊牧民を再編成しました。彼の孫、アルタン・ハーンは明との講和や貿易関係を確立したほか、チベット仏教をモンゴルに導入するなどモンゴルの歴史に大きな影響を与えました。

銅鍍金明王像 清代 内モンゴル博物院蔵
アルタン・ハーンの死去後、マンジュ国を率いるヌルハチとその子ホンタイジが勢力を拡大し、内モンゴル(現在のゴビ砂漠の南部)を支配下に入れ、1636年、国号を大清国と定めました。やがて外モンゴル(現在のゴビ砂漠の北部)も清に服属し、モンゴル族の大部分が清の支配下に入ることとなります。
1911年、清朝が崩壊すると、外モンゴルは独立を宣言。内モンゴルと称された地域は、1947年に内モンゴル自治区を形成して中国に属しています。

孔雀羽織蟒袍(一級文物)清代 内モンゴル博物院蔵